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伝統と革新の街、​​​​​​​新たな時代への挑戦


ワンスアラウンド株式会社 顧問

馬場 英喜

【Market Report  vol.37】

日本のまち(街)づくりの原点「日本橋」
~第2弾:これからも魅力ある街であり続けるには~

前回は、江戸時代から明治・大正・昭和・平成を経て、現在に受け継がれている日本の「街(まち)」の原点である東京「日本橋」を取り上げました。

(前回の記事:『関東大震災からの復活、日本橋の変遷と未来 )


昔ながらの伝統を引き継ぐ老舗店と呉服店から発祥した百貨店が共存する商業地として繁栄し、明治初期には金融センターが加わり、オフィス街へと発展しました。1923年(大正12年)には関東大震災、1945年(昭和20年)には東京大空襲という大きな被害を受けましたが、それらの困難を乗り越えて今日に受け継がれていると報告しました。

戦後も決して順風満帆ではありませんでしたが、今回はその経緯と日本橋のこれからの再開発計画について報告します。


戦後の復興と高度経済成長
そしてバブルの経験と崩壊

戦争により大打撃を受けながらも、日本橋はいち早く復興し、商業だけではなく、金融やオフィスを中心とする一大ビジネスゾーンとして生まれ変わりました。

朝鮮特需などによる戦後経済の復興もあり、日本橋の金融業を中心とした企業は、1950年代半ば(昭和30年)頃には復活。東京五輪開催後の1965年(昭和40年)頃には、老舗百貨店もかつての賑わいを取り戻しました。

その後1980年代に入り、日本全体がバブル景気で沸き立ちましたが、バブルが崩壊した20世紀最後の1990年代は、日本橋にとっては一段と強い逆風が吹いた10年間となりました。

地元(発祥の)産業ともいえる金融・証券業は不良債権処理と金融自由化への対応に追われ、繊維や薬品などの産業もグローバル競争の真只中に置かれました。

そんな中、日本橋の伝統ある主要産業である商業も、「白木屋百貨店」を受け継いだ「東急百貨店」の1998年(平成10年)の閉店により、商業地としての勢いの後退は否めず、相対的な地盤沈下を免れ得ませんでした。


「日本橋再生計画」が進行中
~ 推進役は三井不動産 ~ 


日本の商業の中心地だった東京・日本橋が、再開発によって大きく変わろうとしています。日本橋は、350年前年に三井高利が興した「越後屋」をルーツとする三井グループの「創業の地」であり、2000年に入ってから、三井不動産が推進役を担い、官民地域一体となって「日本橋再生化」を推進しています。


「残しながら、蘇(よみがえ)らせながら、創っていく」を開発コンセプトに掲げて、
2004年(平成16年)の「COREDO日本橋」の開業を皮切りにスタートした第1ステージ。


2014年(平成26年)からは、日本橋の街の魅力を生かしながら、「産業創造」「界隈(かいわい)創生」「地域共生」「水都再生」の4つのキーワードに基づき、ハードとソフトが融合した街づくりを進めてきた第2ステージ。


そして現在は第3ステージとして、2019年(令和元年)8月に、首都高速道路(以後略:首都高)撤去後の日本橋川の川沿いにおける商業施設などの「親水空間」を中心とした開発計画を発表しました。


9月に完工した「日本橋室町三井タワー(コレド室町テラス)」を皮切りに、旧日本橋区に相当する「GREATER日本橋」エリアを舞台にして、昭和通りを境にWESTエリとEASTエリアに区別し、個性が異なるこれらのエリアの特性を活かした一体的な街づくりに取り組んでいます。

「GREATER日本橋」とは、旧日本橋区に相当する地区で、日本橋本町、日本橋室町など住所に「日本橋」を冠する21の町に、八重洲一丁目を加えた地区です。


ここでは、「豊かな水辺の再生」、「新たな産業の創造」、「世界とつながる国際イベント開催」を、3つの重点構想として、2030年から2040年の完成を目指しています。
「豊かな水辺の再生」の実現に向けては、日本橋川上空を走る「首都高」が長年の課題となっていましたが、名橋「日本橋」を中心として、日本橋川に青空を取り戻すとともに、その河川空間を生かした魅力あるまちづくりを実現するため、地域と一体となったまちづくりを実践していくことが重要となっています。

日本橋の景色が蘇る
「首都高速道路の地下化」

日本橋の景観を損なったといわれる日本橋川上空の首都高は、都心部の渋滞解消のため1964年の東京オリンピック前に建設されましたが、1963年の開通から60年が経過しており、損傷も激しく更新が必要となっていました。
首都高速道路(株)は、「立体道路制度」を活用して建物の地下トンネルを整備し、日本橋のまちづくりと一体となっての地下化事業に取り組み、地域の魅力の更なる向上を目指しています。 
※下記の地図を参照ください。


■地下ルート化の概要

「神田橋ジャンクション」から「江戸橋ジャンクション」間の約1.8kmが、地下ルートとして整備され、車道幅は現況の高架7.5mから8.5mへと広がり、
併せて路肩も広くなり、車の走行性が向上します。
地下化のトンネル工事は、シールド工法で2021年から本格スタートしていますが、2035年に地下トンネルを開通させ、2040年までに上空の道路高架橋を撤去して、工事を完了させる予定で、まだ先が長い計画です。


首都高速道路(株)の「地下化のPRルーム」を訪ねると、パネルや模型がありますが、トンネルは日本橋川の下を通り、交差している地下鉄3線(銀座線、東西線、都営浅草線)、電力線、上下水道などの地下埋設物が多い中を潜るという工事の緻密さには驚きました。


日本橋川上空の再開発対象エリアと再開発計画
~広大な「親水空間」と水陸の起点創出~


地下化された後の日本橋川上空は「国家戦略特区」の都市再生プロジェクトに位置付けされ、多くの再開発計画が立上がり、新しい街づくりが始まっています。


■再開発対象エリアと再開発計画


首都高の地下化が実現すると、川幅約100m、長さ約1200mの「親水空間」が誕生し、水陸の起点が生まれます。
その「まちづくりのコンセプト」は、
「日本橋川沿いの連続的な水辺空間と回遊を促す歩行者基盤の整備」
「国際競争力の強化に資するライフサイエンス拠点及び居住環境の形成」
「防災対応力強化と環境負荷低減」
としており、規模は、日本橋川沿いで敷地面積約6万7000㎡、施設の延床面積約122万㎡に及ぶ「5つの地区の再開発」を予定しています。


<計画されている、5地区の市街地再開発>

日本橋一丁目中地区

  市街地再開発事業

2026年開業

八重洲一丁目北地区

  市街地再開発事業

2032年開業

日本橋室町一丁目地区

  市街地再開発事業

2028

 ~30年開業

日本橋一丁目東地区

  市街地再開発事業

2034年

 ~37年開業

日本橋一丁目1・2番地区

  市街地再開発事業

2032年

 ~34年開業

*の場所は上記地図参照



市街地再開発の第1弾
「日本橋一丁目中地区市街地再開発事業」が着工中

本プロジェクトは、「三井不動産」「野村不動産」がメイン企業として参画しており、2026年(令和8年)3月末に竣工予定です。
街の象徴である名橋「日本橋」に隣接するプロジェクトであり、立地に相応しい日本橋エリアの新たなランドマークを目指していますが、「再開発エリア」での最初の取り組み案件であり、5つの地区で予定している周辺開発のリーディングプロジェクトとして重要な役割を担います。


■主な特徴・計画概要

  • 伝統と革新が共存する日本橋に、「空と川に開かれた都心のオアシス」が誕生します。
  • メトロ銀座線・東西線、都営浅草線の「日本橋駅」で接続され、羽田空港と成田空港への利便性向上が見込まれ、アクセス性が高まります。
  • 敷地内は、6つの用途(オフィス・ホテル・居住・商業・ビジネス支援等)で構成される施設で、A・B・Cの3街区となります。

■A街区の「日本橋野村ビル旧館」は、貴重な近代建築物として中央区指定有形文化財の指定を受けており、風格ある外観は保存活用する事で、日本橋の伝統と文化を受け継ぎ、地域全体の更なる賑い形成を目指して、現在工事中です。

■C街区は、敷地面積:15,560㎡に、「地上52階建、高さ約284m、延床面積:368,700㎡の超高層ビル」が建ち、以下のゾーンからなるメインタワーとなります。

「商業ゾーン」

地下1階~4階で、あらゆる目的での来街者に応えるコンテンツを備え、賑わいの軸を形成します。

「MICE」

「ビジネス支援施設」

5階から8階に国際会議やセミナー等が開催できる大型ホールが完成します。

「オフィス」

低層部(10階~20階:ワンフロア面積1900坪)と高層部(22階~38階:ワンフロア面積1300坪)に分かれ、開放的かつハイグレードなオフィス空間が実現します。

「ホテル」

39階から47階で「ヒルトン」が運営するラグジュアリーブランド「ウォルド―フ・アストリア東京日本橋」が開業します。

「居住施設」

48階~51階で約100戸を予定し、地上250mから都心を一望する暮らしと職住近接を叶えます。



みえてきたこと。わかったこと。

日本橋が、魅力ある街で、あり続けるには

世界主要都市は、どこも自然災害や戦禍に見舞われており、ただ順調に繁栄の平坦な歴史を歩んできてはいません。

我が国でも、時代の先端を走ってきた日本橋のような街は、常に変化する時代の風に、どこよりも早く、真っ向から立ち向かわなければならない宿命を負っており、時代変化への対応努力が常に求められています。

ひとたびそれを怠れば、たちまち街の衰退を招くことになります。


日本橋がこれからも人や企業を惹きつける魅力ある街であり続けるには、次のような条件を備える必要があるのではないでしょうか?


(1)ビジネスエリアとして活気に溢れていること

オフィス、商業施設などが多く集まり、ビジネスを展開するエリアですので、時代を切り開く先端企業を受け入れて、就業者が働きやすい環境である必要があります。

(2)魅力的な都市景観の維持が継続されていること

効率的な都市デザインが不可欠ですが、
単に効率的だけでは無味乾燥なものばかりになります。

人々の心を捉え、わくわくさせるような
楽しい街並みが必要です。
日本橋には、文化財としての価値も高い建築物が残り、

三越新館から日本橋三井タワーに至る軒高線は、
きれいに統一されている資産があります。


(3)街が持つ歴史、文化を体現する街並みであること

日本橋にふさわしいコンテンツは、日本橋を舞台に発展したともいえる我が国の伝統文化を紹介する施設です。具体的には、歌舞伎、文楽、落語などの伝統芸能を楽しめる施設や我が国の文化を発信する拠点を集めたい。
観光客は伝統工芸の店舗を回って日本橋の雰囲気を楽しんだあとに、伝統芸能を堪能する。そして、三井記念美術館などを巡りながら、夜には老舗で舌鼓を打つ。こうした日本文化を満喫する「場」として、日本橋は最適なのではないでしょうか?
また、伝統文化に加えて、秋葉原や池袋にあり世界的に評価が高まっている
アニメやゲームに代表される「オタク文化」などの現代日本文化の発信拠点を集めてはどうでしょうか?
サブカルチャーの原点は、江戸文化に由来するところが多いとされ、実現すれば海外からの観光客にとっても、現代日本の奥深さを学ぶことが出来る「場」になると思います。

(4)人が実際に住んでいる街であること

人は自分が住む街に愛着を持ちますが、その人数が多ければ多いほど、街は魅力的になり、働く場所としても良い環境となります。
明治初期の東京は、日本橋・神田が中心市街地であり、そこには商店と家が固まり、人々は寝起きも仕事も同じ家屋の「職・住一体」が基本での生活スタイル、もしくは近隣から徒歩で通う「職・住近接」が一般的でした。
その意味で業務的効率性と住宅の存在は、むしろ相乗効果をもたらす関係として両立すると思います。


さいごに ―新たな日本橋の景観と街づくりに向けて―

東京の真ん中に位置する「日本橋」の景観を取り戻すべく、「首都高」の地下化工事も始まり、併せて周辺でも大規模な再開発計画が進められていますが、

街は一朝一夕に出来上がるものではなく、過去の蓄積の上に、多くの利害関係と異なる考え方の対立や調整の過程を経て構築されていきます。

20世紀の都市が、「画一化と効率化」を志向したとすれば、
21世紀の都市は、「創造性と人間性」が求められるのではないでしょうか?


歴史・文化・環境に恵まれ、多様な機能が融合し、
様々な目的を持った人々が集う「日本橋」は、
21世紀型のモデルになる高いポテンシャルを持っていると思います。


中央通りを日本橋から南下し、京橋を過ぎると銀座へと繋がりますが、
次回は日本随一の商業都市である「銀座」について報告します。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。



馬場 英喜
馬場 英喜
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